1998年式のB14型日産サニーに対する海外の反応です。北米ではセントラの名前で販売されていました。近所のおやんず(東北弁)が乗ってたなこれ…
↓↓↓以下、海外の反応↓↓↓
・この時代の日産は大好きだ。
・このセントラは今でもかなりの台数が走ってる。これは日産がまだ魂を持っていた頃のクルマだ!
・初めてのクルマは1998年式の5MTの日産セントラSEだった。今でもまだ持ってるよ。とてもいいクルマだから絶対に手放すつもりはないな。特にこれはMT車だから、絶滅しつつある時代のクルマだ。走行距離は400,000kmだけど今でも快調だよ。このクルマは我が家にとって欠かせないもので、兄が最近、B14型の初期モデルである1995年式セントラを買ったんだ。あれはかなりパーフェクトな状態で、まさにタイムカプセルだ。それ以上に程度の良いベースグレードのセントラは見たことがないよ。
・自分はタイ人だが、2003年から2年間、ノースカロライナ州の大学院に通ってた。この世代のセントラは買うのも維持するのも安く、それなりに信頼性があった。当時はまだそこまで古くなかったから、大学院生、特に留学生の間では人気があったんだ。一方、ロースクールやビジネススクールでは、学生がBMWの3シリーズやスバルインプレッサなんかに乗ってたよ。
・自分もこれに乗ってるよ。色はグリーンで、ちょっとへこんでるんだ。このクルマにはグレムリンと名付けたよ。
・この個体は、今なお路上にあるセントラの代表的な例だと思う。真っすぐなパネルはなく、錆びて汚れているけどまだ動いている。
・1995年式の日産セントラXEと共に育ち、そのクルマで運転を覚えたよ。塗装が日焼けしていたから運転するのは恥ずかしかったけど、信頼性はめちゃくちゃ高いクルマだった。
・2011年当時、友達がこのセントラに乗ってた。助手席側のドアミラーすらないベースグレードで5MTだった。サビて安全でなくなるまでに640,000km以上走った。その時点でも走りはビューティフルだったよ。
・おおベイビー、このクルマには新しいヘッドカバーガスケットが本気で必要だ。
・自分がこれまでに所有した唯一の日産車は1993年式のセントラSE-Rだった。あれは運転するのがとても楽しかったよ。いつかそれをレビューしてくれると嬉しいな。個人的には、1980年代後半のBMW M3のエコノミーバージョンのように思えたね。
・自分は年寄りだからこのクルマの事はよく覚えている。インターステートハイウェイ10号線で故障して止まってるのを見た覚えがあるよ。それでも、今日のジヤトコ製CVTよりは各段に信頼性が高いと思うけどね!
・1999年式のセントラSEにはSR20エンジンが搭載されていたよ。2000年式と、2001年式にも設定があったね。
・子供の頃、我が家にはこのセントラがあった。ファブリック製のシートは驚くほど快適で、いかにも当時って感じだったよ。最近の布製シートは厚さが足りないんだよな。
・自分の母国では、これは日産サニーという名前で販売されていたよ。国を離れる前、このクルマがタクシーとして使われているのを見たことがある。走行距離はおそらく1,000,000kmを超えているだろうな。残念ながら、こういう耐久性の高い日産車はとうの昔に姿を消してしまった。
・1997年式の日産セントラに乗ってたことがある。素晴らしいクルマだったよ。
・1998年モデルの日産アルティマを縮小したような見た目だ。気に入ったよ。
・これよこれ。こういうのが見たいからチャンネル登録してるんだ。「まだ走れる」カテゴリーってのを作ったらいい。
・2番目のオーナーがハイスクールのキッズだったことを考えると、驚くほどノーマル状態を保っているね。
・1.6リッターの1997年式セントラGXEに乗ってる。こいつは当時最高のクルマだった。これが今でも残っているという事は、それだけこのクルマが優れているという事だ。
・当時ヨーロッパで販売されていた日産アルメーラはおそらくこれと同じプラットフォームで作られていて、1.6リッターエンジンもアメリカ仕様と同じだったんじゃないかと思う。防弾仕様並みに頑丈なクルマだったけど、当時の日本車は一般的にサビやすいものだった。そのため、残念なことに今ではほとんど見かけることがない。
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